6.5 人間の眼の光学的特性と劣化

  −−−我々の眼は加齢とともにどの程度劣化するのか−−−

1.まえがき
年を取ると小さな字が読みにくい、直射日光が眩しい、眼が霞むなど眼に係わるトラブルが増えてきたことを経験しておりませんでしょうか。私も最近運動能力の低下とともに眼の機能低下を実感しております。実際加齢とともに白内障、緑内障、加齢黄斑変性症などが発症しやすくなるようですので注意しております。
そんな中、最近私の関係する学会
(*1) で特定の眼の病気を発症していなくても、物を見ると言う「眼の光学的特性が加齢とともに劣化してくる」ことを定量的にまとめた技術報告書(*2) を出版いたしました。今までも加齢劣化は知られていました。しかし世界の既発表の文献値を詳密検討し標準的な定量数値としてまとめたことに意味があります。興味深いデータですのでその一部を紹介いたします

*1:国際照明委員会(略称CIE)・・各国に支部団体があり日本は、一般社団法人日本照明委員会(略称JCIE)
     光放射と照明に係わる科学・技術のあらゆる事項について国際的討議を行い国際規格(CIE/IEC規格、ISO規格など)に反映させる活動をしている
*2:CIE技術報告書・・CIE203:2012 「A Computerized Approach to Transmission and Absorption Characteristics of the Human Eye 」 ・・・・
 この報告書は日本照明委員会より購入できます。


2.眼の構造
最初に眼の構造を見てみます。昔から眼の構造・働きはカメラの構造・動作と比較し論じられます。そこで最初に眼の構造と役目について、ものを撮る(見る)カメラと比較し見て行きたいと思います。両者はその各部の役目が驚くほど似ております。図1に同じ役目をする部分を点線で結んであります。
眼に入ってきた光(像)は、 最初にフィルターの役目をする「角膜」 を通り →「 房水」 → 光の強さを調整する絞りの役目をする「虹彩」間の「瞳孔」を通り → レンズとその湾曲率を毛様体筋の引っ張り強度を変えピント合わせの役目をする「水晶体」 → 「硝子体」 → フィルム(撮像素子)の役目をする光のセンサーの集合体である「網膜」に達し → 「視神経」で伝達され → 「脳」で光(像)を感知(認知)します。
我々人間の眼は直径約25mm程度の眼球に、カメラのフィルター、絞り、焦点会わせ、レンズ、フィルム(撮像素子)の全ての機能を持たせているのです。網膜から脳へ伝達される後半の神経伝達回路網はさながら最近のデジタルカメラでの処理プロセスと酷似しております。デジカメの撮像素子でとらえた映像信号を内部映像処理回路に伝送され処理され、その処理信号がメモリに送られ蓄積される過程とまさに似ております。

図1: 眼とカメラの機能構造の類似性
 (図はDICカラーデザイン(株)様のHP:LectureColorKnowledgeより引用)


3.眼の光透過特性と太陽放射
3.1 眼の透過特性
このCIE技術報告書では光が透過する眼の各部分について、紫外放射から近赤外放射域の光透過特性を示しています(図2)。まだ加齢劣化のない10才以下の若い人の特性です。
図2では、眼の最前面の角膜と次の眼房水、硝子体は紫外放射の約0.3μm(300nm)から近赤外放射の1.4μm(1400nm)までの広い範囲を透過します。眼房水と硝子体は似た透過曲線を示しています。水晶体は0.32μm付近にわずかな透過があるものの約0.4μm以下の紫外放射域は吸収し、0.4〜1.4μmまでよい透過特性を示すことが分かります。そして網膜に到達する眼の透過特性は短波長側は水晶体の透過特性に依存し、透過波長は約0.4μm〜1.4μmまでの範囲となっています。

3.2 太陽放射と眼への作用
我々が日常浴びている太陽光は上記眼の透過特性からみてどのような影響を与えているか考えてみます。
太陽の光(放射)は6000Kの黒体放射に近似した分光分布を持って放射されています。地球の大気圏外側に到達した太陽放射は大気層を通過し地表に到達する間に大気層の水蒸気(H
O)や酸素(O2)、オゾン(O3)、各種ガス成分、じん埃などによって吸収され減衰し地表に達します(図3参照)。 近年話題となっているオゾンホール問題は、大気中にオゾンが少ない地域が発生してしまう問題です。大気中のオゾンが減少すると太陽光(放射)のエネルギーの強い紫外部(0.3μm以下)のオゾン吸収が減少するため地表に到達する短波長紫外放射(UVーB: 0.28〜0.315μm)が増加してしまいます。この短波長紫外放射が増加すると皮膚癌が起こりやすくなります。オゾン層がある場合、我々のあびる地表での太陽放射は普通は0.3〜2.5μmの範囲です。

眼への影響は、太陽光(放射)の中で、短波長側の紫外放射0.3〜0.4μmはエネルギーが強いため光化学反応を起こす光化学障害、長波長側の赤外放射は熱障害を起こす要因になると言われています。経験された方があるかと思いますが晴天下のスキー場で起こすいわゆる「ゆきめ」は光化学性角結膜炎です。水晶体は0.3〜0.4μmに透過特性を有する角膜と房水を透過した紫外放射をあび吸収し白内障を起こすと言われています。紫外放射の強い地域と弱い地域で白内障の発生率に明確な差があることが報告されています(
*3)。網膜に対しては近年青色光障害(0.4〜0.55μm)−−光線性網膜炎が話題になっています。従来は網膜熱傷と結びつかれていましたが近年短波長青色光による光化学障害であることが明らかになってきました(*4)。その他太陽を直接見るなどした場合は熱障害を起こします。そのほかに光と眼の関係はいろいろありますが非常にメカニズムが複雑であり筆者は医学的には専門外ですので病理的影響の紹介はこの程度にとどめます。
    *3: 日本経済新聞(夕刊)2000年8月14日・・健康生活
    *4: 照明学会:「光放射の人間に対する生理的影響の評価に関する研究」調査委員会報告書(2002年3月) など 


図2: 若い人(10才以下)の眼の透過特性
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図3:  太陽放射の分光エネルギー分布
(Valley(1965)より引用)
黒点部は大気中の各分子による吸収を示す


4.眼の加齢劣化
このCIE技術報告書では図4に示すような標準的な人を対象とした「眼の加齢による透過率変化」をシュミレートした特性曲線を提示しております。ここで標準的な人とは沢山の人間の平均をとったという意味です。またこの透過率劣化要因は角膜や水晶体、硝子体の劣化因子が大きいですがここでは眼全体の劣化を含んだものです。
図4より
年齢を重ねるにつれ透過率が大きく低下、特に短波長側ほど大きく低下して行くことが分かります。筆者は70才代ですので1〜10才時に比べると青色領域の透過率はほぼ半減していると読み取ることができ、これは大きな驚きです。年々少しずつ低下して行くためあまり気にもとめませんでしたが、現在見ている青い海、青い空、若葉繁る風景、この同じ風景を若年者はもっと鮮やかに見ているのでしょう。

図4: 加齢による眼の透過率変化
(網膜への到達光の変化)


5.加齢劣化と視力への影響
 次に図4の加齢劣化が我々の視力にどのような影響を与えているか考えてみます。
5.1 視力への影響

図5は、人間の眼の光の感じ方と光の波長との関係を示す曲線です。網膜には明るい所で働く光受容体(錐体)と暗い所で働く光受容体(杆体)の2つの光受容体があり光を感じています。明るい場所では波長555nm(0.55μm・・*5)の黄緑色に最も感じ、その前後では感じ方が悪くなります。波長555nmの感度を1として求めたものを明るい場所(明所視という)での標準比視感度特性(Vλ)と言います。暗い場所では明所視より約50nm短波長側へ移った約505nmの青緑色に最も感じる特性になり、これを暗所視の標準視感度(V’λ)といいます。
図4のように加齢により眼の透過率が低下すると、視力は明所でも暗所でも低下しますが、暗所での低下がより大きくなることが読み取れます。また明るい所から暗い所へ移った場合、はじめは見えにくいですが次第に見えてくる(暗順応という)時間や程度が若者と大きく変わっていると思われます。逆の暗所から明所への変化(明順応という)も変化があると思われます。

  
*5: 波長単位 1μm=1000nmです

図5:  人間の眼の感度波長特性
( 比視感度曲線・・明所視と暗所視 )

5.2 色の感じ方(色覚)への影響
明所での光受容体である錐体は視力とともに色覚もつかさどります。この錐体は赤錐体(R)、緑錐体(G)、青錐体(B)に分かれており、それぞれ赤色域、緑色域、青色域の色波長の感じ方は図6のような曲線を示すと考えられています。この標準的な色に対する特性を等色関数(スペクトル三刺激値)と言います。赤錐体がX(λ)、緑錐体がY(λ)、青錐体がZ(λ)の特性曲線です。
図4に示すような短波長側の透過率低下がより大きい加齢劣化を起こすと、色の見え方に大きな影響を与えいることが想像できます。加齢化により網膜の青錐体、緑錐体への光割合が低下しますので青の感じ方Z(λ)、緑の感じ方Y(λ)がより大きく低下し、若者の感じ方より全体に黄ばんだ感じ方になっていると考えられます。視力の低下はメガネなどある程度補正が利きますが色覚の劣化は補正が利かず光の質の劣化であります。しかし実際にはこの劣化は徐々に低下しているためあまり認識できず、視力の低下の方を問題視しているのではないでしょうか。白内障手術で人工レンズを使用した人が術後景色が鮮やかに見え驚くと言うことをよく聞きます。
筆者は趣味で写真を撮っていますが、そのモニター画面でのレタッチ(画像の修正)手法を考えるとかなり問題がありそうです。記憶色たよりに色補正すると青緑色域の彩度や輝度が過剰補正になっていないかなど反省点があります。加齢劣化による水晶体の白濁と透過率の低下は更に詳細に分析すると拡散透過度割合の増加があります。これは特定の物を見る場合に問題が起こります。周囲光が水晶体内で拡散され(この光は平均すると無彩色になる)て見ている特定の物の色に重なり、その結果見ている物の色の彩度を低下させてしまいます(
*6)。高齢者の見ている色はなにが本当の色か、軽減補正する方法はないか、眼の標準受容体の特性をどう捉えるべきかなど、いろいろ問題がありそうです。

  
*6: ・篠田 :日本色彩学会誌、35−4、pp339−345(2011)
      ・池田他:日本色彩学会誌、27−2,pp113−124(2003)

図6: 眼の三原色に対する感覚の波長特性
等色関数(CIE1931スペクトル三刺激値)


6.むすび
加齢による眼の光学的特性変化について記述したCIE技術報告書の一部を紹介しその影響について筆者の考え述べました。変化は加齢とともに徐々に進むため実感として大きく感じないのかもしれません。特に色覚への影響は感じにくいのかもしれません。しかしそれを正確に捉え、照明環境などを高齢者向けに考えればより快適な視環境を創造できると思われます。



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